
私の故郷で、私が生まれる前、多くの女性たちが「いたい、いたい」と言いながら亡くなっていった。そうだ。
そうだ、というのは、私はその頃この世にいなくて、それはたとえ私の生まれた
土地で起こったことだったとしても、実体験として「知らない」ことだったからだ。
「hg」へ向けて本格的に動き始めた今年の初め。
私はまず地元のその地へ行ってみた。
理由は、特に誉められたところはない。やっぱりその土地に生まれたものとして恥ずかしい気がしたから、そんなところだった。
ところがあまりに年の初め過ぎて、収穫は図書館で貸し出されていそうな本をお借りするのみだった。
なんだか不甲斐ない感じがした。
でも。何だろう。感じるものは、あった。
言葉でたくさんは言い表せないけれども、たとえばイタイイタイ病の話を聞かせてもらえる所はないかと尋ねた時の私を見る、人の目。周りの態度。熱心な声。沈黙。
私が知らなくても、その時に生きていた人たちが今も影響を与えているということ。
その時に思った。
「知らなくても、まず行かなくては」
1月27日。
降り立った水俣駅の風景は曇りの薄暗さと冬の寒さが人気の無さを強調していたように思う。
お昼時に到着したのだが、駅前にあるパン屋さんは定休日だったし、見知らぬ土地だ、商店街がどこにあるのかすら分からない。
空腹も手伝って突然心細くなった。
駅で
自転車を借りて、まずは水俣病資料館に向かう。
チッソの前を通る広めの道路をまっすぐ走る。
資料館はこちらと矢印が指す看板を見つけ、何となくほっとして曲がるとそこにはだだっ広い公園、遥か向こうに資料館…。
辿り着く前に空腹でどうにかなるなと思った私は公園内にある
レストランに入った。
そこでご飯を食べながら、今、自分がいる場所の下、そして見渡す限りのだだっ広い土地がかつては海であり、水俣病の歴史の中で犠牲になった魚たちがたくさんたくさん今もいることを思った。
何だか少し目まいを覚えるような感覚に襲われた。
後で訪れる資料館で私はエコパーク(私が先ほどから公園といっている今いる場所)には、自分の代わりに死んでいった魚たちがたくさん埋められていてとても行けないと語られていた言葉を目にする。
当時を見てきた人々には何倍も何百倍もの思いがそこにいつまでもあるのだろう。
無かったことになんかならない。
そう思った。
お会計の前に次の日に訪問しようと思っていた「ほっとはうす」の場所を尋ねた。
するとこの先のアトリエ兼事務所に詳しい人が居るから聞いてみるといいと言われた。
訪れたアトリエでは、控え目に見えるけれども芯の強そうな女性が迎えてくれた。
その女性はほっとはうすの理事をされていて、すぐに
地図を描いて下さった。
ふと、当時の様子が聞きたくなって、尋ねた。
次から次に出てくる質問に、嫌な顔をせず、でも時々遠くを見つめながらお話下さった。
海のこと、魚のこと、ヘドロのこと、そして何より亡くされた親族のこと。
その静かながら、当時の光景を見たものにしか出せない声で語られる話は、時に私にもその光景が見えるかのような錯覚を覚えさせた。
後で聞くと水俣病資料館で語りべさんをされているとのことだった。
帰り際に、そのアトリエで作成されている付近の
海岸に流れつくガラス瓶や破片を使った工芸品を購入した。
忘れないように。
水俣病資料館は丘の上にある。
丘に登ると、青い海と、草木の緑が鮮やかに目に飛び込んできた。
ほんの一時明るくなった空を悠々と舞う鳶。
後ろを振り向くと、エコパークが見渡せる。
資料館の付近には私しかいない。あとは鳶。
静か過ぎる。
海が見渡せる場所に座って、暫く海を眺めた。
恥ずかしながら事前の綿密な予習等をあまりせずに訪れた水俣だったが、今目の前に広がる風景が何よりの情報として視覚や聴覚にドスンと入ってくるのを感じた。
資料館に足を踏み入れたのは結局15時前。駅に降り立ってからちょっと噛み締め過ぎたかな。でも無駄ではないんだよな。
資料館に訪れる人は正直まばらだった。
でも私も含め皆資料に見入っていた。
私が特に見入ってしまったのはお母さんのお腹の中で
栄養とともに胎盤を通過する有機水銀の影響を受けてしまった胎児性水俣病の方の本当に本当に綺麗な瞳。先日お亡くなりになった杉本栄子さん一家の展示。まだ危険だったにも関わらず安全宣言の出された魚たちを家に、両手にぐわしと掴んで持ち帰るお母さんたちの
後ろ姿。
誰が悪いとかそういうことじゃなくて、この土地の人々がいかに海を愛して共に生きていたかということがひしひしと伝わってくる展示だった、と同時にやっぱり起こってしまったことへの悲しみと、複雑な思いがいっぱいになり正直処理し切れなかった。
グチャグチャしたまま資料館を出ると辺りがまた曇ってきていた。
この数時間で手にしたたくさんのこと。
何だか飽和状態で、自転車に乗れずにうずくまってしまった。
時間はまだあるけれど、感覚が限界というか、何かそんな感じだった。
何とか力を振り絞って
宿泊する
ホテルまで辿り着き、少し横になる。
横になっても感覚が冴えて眠ることはできなかった。
もそっと起きて、
ビジネスホテルの小さな窓から薄暗い空の下に広がる水俣の町を眺めた。
決して大きくはない町なのだ。
この限られたエリアでは有り得ないじゃないかという数の、人や猫や魚や鳥や、尊い命が奪われた。
不謹慎かもしれないけれど、そう思ったら地中に引きずられるような気分だった。
気分が沈み過ぎている気がして、ふと外に出て現在の水俣に触れようと思い立った。
外は今にも雨が降りだしそうで寒くて、防寒をこれでもかとして出た。
ホテルを出ると、さっきはきちんと気付かなかったけれど周りは元々商店街だったような景色だった。
チッソの水俣、と呼ばれた時代を思った。
今は正直人気がなく、とにかく誰かに会いたくて自転車を走らせた。
暫くすると突然たくさんの人が出入りするお店が現れた。
ほっとしてお店に入り、久しぶりの人気が嬉しくて、店内を隅から隅まで見てしまった。
そうすると、突然誰かに話しかけられた。
びっくりして顔をあげるとドキッとするような素敵な笑顔が私に向けられていた。
店員さんのようだったが何故だかその人の言葉は私に聞き取り辛かった。
どうやらその人は軽度の水俣病らしかった。
素晴らしい笑顔で接客をされていた。
その人に会って、急に目の前が明るくなった気がした。
そうだ。
資料館を出た時、きっと私はおこがましくも自分に何が出来るんだろうとか考えていたのだと思う。
でもその人を見て晴れた。
私に出来ることとかじゃなくて、忘れないこと、私が今この土地にいてこの土地の人に会って、それこそが大切なのだと。
その人に近くにスーパーはありませんか、夕食を買いたいのですと尋ねた。
今度はその人の言葉が聞き取れた。
明日はほっとはうす。
加藤さんに10時に来て下さいと言われている。
押し掛けだった。
遅れるわけには死んでもいかなかったから、とにかく早く寝た。